ここもまたたび

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いざトルコ29 閑話休題・昭和日本の食卓革命・ヨーグルト

 

【1973年の革命】

1971年の「明治プレーンヨーグルト」(のちの「明治ブルガリアヨーグルト」)。この甘くないプレーンヨーグルトの発売がいかに革新的だったかの実例を紹介しよう。

我が家にこのヨーグルトが入ってきたのが、そのころだった。我が家は兵庫県の太平洋ベルト地帯の社宅にあった。小さかった私のためには肝油ドロップとヤクルトを。働き盛りの父のためには、この甘くないヨーグルトを母は買った。もしかすると新しもの好きの父の趣味だったのかもしれない。このラインナップからもわかるように、すべては健康のため。おいしくなければ、テーブルから外せばいい。

 

牛乳と食パンと野菜と卵の家族そろっての朝食のテーブルにヨーグルトが加わった。今までみたこともない甘くないヨーグルトの入れ物の蓋の上にはすぐに溶ける特製の砂糖の袋がついていた。食生活は急には変わらない。甘く食べたい人への配慮であり、甘くない製品へのこだわりが感じられる。当然のように、我が家では小鉢にヨーグルトをよそっては、その砂糖をまぶすか、はちみつを入れて食べた。

 

新しい食習慣は苦もなく、定着した。おしゃれだし、おいしかったからだ。そして食べる量も増えた。こうなると家計に響くのか、母は近所の主婦仲間のお料理会で教わってきて、家でヨーグルトをつくるようになった。

 

方法は次の通り。1ℓ以上が入る大きなふた付きボウル型のタッパーウェア(ヨーグルトづくり用として母が近所の主婦仲間に勧められて購入していた。今回、母に聞いてはじめて知った。驚いた。あれはヨーグルト専用容器だったのか…)に牛乳をそそいで、明治ブルガリアヨーグルトをスプーンで数杯入れて、ぐるぐるとかき混ぜる。それをみんなが入ったあとの夜の湯舟に浮かべる。今振り返ると衛生的な環境とはいえないのだが、五右衛門風呂に浮かぶ、黄色いプラスチックの巨艦は文明の香りがした。

 

翌朝には食卓に。市販のものよりゆるめの仕上がりで、ホエーがやたらと多かったが、味は悪くなかった。これが1年は続いたろうか。いつの間にか市販品に戻っていたが、朝食の定番として不動の地位を築いていた。

 

そして現在、私の家では家電のヨーグルトメーカーが作ってくれる。製法も変わらず、牛乳に市販のヨーグルトを混ぜてセットするだけ。温度管理が完璧なので、ホエーが増えすぎるなどの出来ムラもない。意外にも保温がお風呂でない以外は同じ。おいしさと健康に加えて、ヨーグルトに適した菌と乳があれば、手軽にできるのも世界に広まった理由に違いない。

 

写真は昭和40年代から実家にある洗面器ほどの大きさのタッパーウェア。丈夫で洗いやすいプラスチック製で水ももらさない密閉フタの開発に成功したアメリカのタッパーウェアは当時、画期的だった。日本には1960年代よりホームパーティを中心にして販路を広げていったという(※1)。当時は家に車もインターネットもない時代。新製品は近所の主婦販路や玄関に押しかけ販売が主流の時代だった。

驚くべきことに、母のものもちの良さのせいなのか当時の品物は品質がよいのか、今も現役で、湯がいた大きなタケノコを冷ましたりするときなどに使われている。

フタには「TUPPERWARE」としっかり印字されている。

参照

※1 Tupperwarehttps://www.tpw-japan.com/layout/main/about.html#history